それでもボクは(セクハラを)やってない
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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)
「和久田くん、今日の夕方に時間ある?」
「あ、お疲れさまでございます。はい、4時以降なら大丈夫です」
「そうしたら、4時に応接室にきて。ちょっと面談しよう」
「かしこまりました」
はて、何だろう?
課で定例となっている朝のミーティングを終えた後で、内線が鳴ったので出てみたら、大田支社長が面談だという。
9月の辞令で課では課長の次席にあたる「課長代理」になって早くも3週間が経過した。
実績も順調に出している。
この下期も個人目標の達成はほぼ間違いない。
十分に酒井課長を支えている自負がある。
支社長から呼び出される理由は思いつかなかった。
取引先への巡回を終えて、15時に会社に戻ってきてから面談時間を待った。
社内で支社長の席は僕の席から目視できる位置にあるため、約束の数分前に支社長が応接室に入るのが見えたため、僕も後を追って入室した。
「この時間に悪いね」
「いえ、とんでもないです」
支社長は何かを言い淀んでいる様子を感じる。
「あのね、実は本社のコンプラにハラスメントレスキューがあるやろ?」
僕の会社の東京にある本社には、コンプライアンス推進部という部署があるが、そこに社内のセクハラやパワハラの相談に応じる「ハラスメントレスキュー」という専用電話が引かれ、専任担当が設置されているのは知っている。
僕が転職で今の会社に中途入社して3年。
存在は知っていても、もちろん利用したことはない。
「はい」
僕は知っている旨の返事をする。
ハラスメントレスキューがどうしたのだろう?
「ある女性から、和久田くんと酒井課長にセクハラを受けたとの告発があったんだよ」
「え?」
僕は次に言うべき言葉を失った。
「酒井課長からはすでに話は訊いていて、全く身に覚えがないっていうのね」
僕を「課長代理」へ推薦してくれた酒井課長は尊敬すべき人物だ。
入社してから3年間、課長は僕に業務の全てを教えてくれた。
社内でも話題になるくらいの大型契約が取れたのも、課長が何度も交渉に同席してくれたことと、的確な助言があってからなのは明白だ。
それでも課長は、全て僕一人がやったのだと皆の前で大々的に褒めてくれた。
リーダーの鏡のような存在で、人格者でもある尊敬に値する上司だ。
その酒井課長がセクハラするなんてことは信じられない。
「派遣社員の早乙女さんっているでしょ? 彼女がセクハラされたって内容なんだよ」
早乙女さんは派遣社員で、僕の所属する課で営業事務をしている女性だ。
僕の会社の営業担当者には必ず営業の補助業務を行うアシスタントが一名付いてくれることになっている。
電話、メールに書類作成業務を主に行っていて、例えば僕の取引先であれば営業は「和久田」で、事務は「早乙女」だと認識してもらっている状況だ。
彼女はこの10月から僕のアシスタントとしてもらっている。
まだ一カ月程度の付き合いであるが、29歳の僕と同じ年齢ということもあり、課の飲み会があるときは親しく会話をしているのは事実だった。
「支社長、僕ももちろん早乙女さんにセクハラをしたことなんてありません。いつ頃、僕と課長がセクハラをしたことになっているのでしょうか?」
「うん、それはね……8月なんだって」
今年の8月、3カ月前の話。
8月は例年、取引先ともどもお盆休みがあるため1年の中でも仕事量は少ない。
そのため、社員は早い時間に退社することが多い。
暑い季節ということもあり、仕事終わりに会社メンバーと飲みに行くことも多かった。
当時、早乙女さんは同じ課ではあったが僕のアシスタントではなかったため、親しく話をする間柄でもなかったが、お酒が好きなのと持ち前の明るい性格だったこともあり、男性社員には人気が高く、飲み会の席には必ずいたように記憶している。
「それでセクハラの内容なんだけどな……胸を揉まれたっていうことなんだよ」
む、胸を?
支社長も酒井課長と僕がきっぱりセクハラを否定したこともあり少し訝しげな表情だった。
「そんなことは絶対にあり得ません」
僕はもはや半分、笑いながら答えた。
「そうやろうなぁ。私も課長と和久田くんが酒の席で、たとえ酔っていたとしても絶対にそんなことをするようには思えないよ」
支社長が僕らを信じてくれたのだけは幸いだった。
支社長の「たとえ」も、僕らからすればあり得ないことだった。
酒に「酔う」ことはあっても、記憶を失くしたことはない。
ましてや暴力的な行為や、女性の身体を触るような性質は持ち合わせていない。
それだけは断言できる。
そして、酒井課長もアルコールをたしなむ程度で、深酒したところを今まで見たことがない。
僕らがセクハラの加害者なる要素は1%すらないのだ。
「分かった分かった。じゃあ、この件はこちらで何か進展があったらまた連絡するから」
「支社長、1つだけよろしいでしょうか? 早乙女さんセクハラを8月に受けたということですが、それ以降に僕と課長は早乙女さんとは何度も飲みに行っているんです」
「え? そうなのか。ますます不思議やなぁ。よし分かった。とにかくこの件は任してくれ」
支社長はそこで面談を終わらせた。
なぜ僕らがこのような濡れ衣を着せられたのか、腑に落ちなかった。
その話を聞いてから僕のアシスタントにこのまま早乙女さんを置いてよいものか疑問があったが、酒井課長から個別に呼びだされた。
「俺らは潔白なんだから、気にするな。早乙女さんを和久田のアシスタントから配置換えすると、セクハラを認めたことになるぞ」
課長の考えに同意した。
僕はセクハラをしてないのだから、早乙女さんに気をつかう必要はないのだ。
それでも、このような疑いをかけられたからには以前のように接することはできなくなるのではと思ったが、当の本人がいつもどおりに話かけてくるため、僕も平常心を保った。
それから何事もなく2週間が経過した。
水曜日の夕方、社内で向かいの席に座る2歳下の後輩である小石が小声で話しかけてきた。
「ワクさん、金曜空いてます? 何人かと飲みに行きませんか?」
「お、久しぶりだね。行こうか。誰がくるの?」
「ワクさんがOKでしたら、黒瀬の他に伊東さん、早乙女さんの女子2名も来るので……5名かな」
早乙女さんもくるのか。
僕は一瞬、躊躇した。
「おぉ、そっか。じゃあ店が決まったら教えてよ」
本社からセクハラ疑惑をかけられて以来、早乙女さんと飲みの場で会うのは初めてだ。
僕は逆にこの機会を好機だと捉えた。
その場で本人に真相を問いただすことはできないが、僕に対する態度などから、何かしらのヒントが得られるかもしれないと思った。
金曜の18時半、会社近くの洒落た多国籍居酒屋で飲み会が開始した。
「それにしてもここ数週間、忙しかったっすね。皆さん、お疲れさまです。かんぱーい!」
小石が乾杯の音頭をとった。
男性陣の小石と黒瀬は新卒で入社しているため、僕より社歴は長い。
中途入社の僕より会社については情報通だ。
30分ほど5人で会社のこと、芸能人のゴシップ話で盛り上がった後だった。
「ワクさん、いつもありがとうございます。的確な指示を頂けるのですごく仕事がやりやすいです」
6人掛けテーブルの向かい右斜め前に座る早乙女さんが僕を見ながら話しかけてきた。
「あ、ありがとう。そう思ってくれて嬉しいよ」
社内では敬語を使うが、会社から離れると早乙女さんには友達口調で話すようにしている。
「やっぱり、前の豊田さんに比べたら違うんですね。さすが、ワクさんっス」
「豊田」とは僕と同じタイミングで中途入社した同期だ。
営業として同じ課で働いていたが、この9月末付けで退職している。
それまで豊田のアシスタントを早乙女さんが担当していたのだ。
それからも早乙女さんが僕に何かしら今までと違う態度をみせることもなく飲み会はお開きとなった。
セクハラをされたとされる8月以前のいつもの早乙女さんだった。
僕はますますワケが分からなくなった。
何かの間違いだったのではないか、と思うようになった。
疑惑をかけられたとはいえ、課長と僕以外にこの件知るのは支社長だけだったため、僕が社内で白い目で見られることはない。
仕事も今までどおり、順調だった。
さらにそれから1週間が経過した。
「和久田、今から応接室にこれるか?」
酒井課長が夕方の定時退社時刻に差し掛かろうとしたときに、呼びかけられた。
「はい!」
僕は課長がいつもとは違う顔色だったため、セクハラの件だと直感した。
応接室に入ると、大田支社長がすでにソフォーに腰かけて僕らを待っていた。
「失礼します」
支社長の向かいに課長と腰を下ろす。
「長いこと時間がかかってしまって申し訳ない。セクハラの件だけど……」
僕は真相が判明したのかと胸が高鳴る。
「順を追って話すと、セクハラの件は最初、社内のメールでレスキューに連絡が入ったらしい。時期は9月の初めで差し出し人は早乙女さん本人から」
「え? やはり、早乙女さん本人がセクハラされたと言ってるのですか?」
僕より先に課長が発言した。
「そう、それは間違いない。ただな、私もいろいろ調べてみたんだけど最初、この話は早乙女さん本人には確認を取らずに私に連絡が入ったということなんどよ」
「どういうことですか。つまり、告発のメールを受け取ってからすぐに支社長に?」
「そう。そういうことになる」
僕は正直、レスキューの対応にあきれ果てた。
それと同時にこの件の全容がみえたような気がした。
会社では営業とアシスタントが連携して業務をこなす。
例えば、取引先へのお礼のメールを送信する作業も重要であるが、件数が膨大になるためアシステントが請け負うことも珍しくない。
社内ではごく当たり前の作業だ。
その際、社内システムに入るためのアカウントパスワードをお互いで交換していることももはや常態化しているのだ。
このことから分かるのは、誰かが早乙女さんのアカウントを使ってシステムにログインし、早乙女さんに成りすまして、セクハラされたと被害を訴えるメールをレスキューに送信したのだ。
それができたのか誰か?
メールが送られた時期と、早乙女さんのパスワードを知り得た人物を推測すると犯人は一人しかいない。
「豊田」だ。
9月末付けで退職した豊田は、有給休暇を消化したため、実際は9月の中旬までしか会社に来ていない。
支社長も僕と同じ推理にたどり着き、豊田の最終出社日を確認したら9月14日だったらしい。
そしてメールが送られたのはその前日の13日。
コンプライアンス部はメールを受信してから、対応を部内で数日間にわたり協議して支社長に連絡した時期とあてはまる。
犯人は「豊田」だと考えてほぼ間違いない。
しかし、豊田はすでに退職している。
確かめる術はない。
なぜ、豊田はそのような愚行に及んだのか。
豊田は社内で唯一の同期だったため、入社当時はよく飲みに行っていた。
僕と最も仲良くしていた人物だった。
前職がメーカー勤務ということもあり、当初は信頼も厚く、僕よりも優秀だと社内では見られていた。
僕は豊田と比べられるのが悔しくて、がむしゃらに仕事に取り組んだし、豊田がいたからこそ成長できたのだ。
入社してから2年が経過したころから、豊田がイージーミスをするようになった。
それは同僚の僕にも分かるくらいの単純なミスだ。
酒井課長からも注意されることも多くなった。
何があったのか?
僕は二人で飲みに行った席で、豊田から家庭が上手くいっていないと聞かされた。
家庭でのストレスで心労しているのが分かった。
僕は彼を気遣いつつも、そっとしておいたほうが良いのではと考えた。
課の飲み会には参加していたが、後輩らとの少人数の飲み会には顔を出さなくなった。
それからは後輩らも豊田を誘わなくなった。
いつしか、豊田は僕だけじゃなく、同僚たちとも疎遠になり孤立したのだ。
だから、豊田が退職すると聞いたときには誰も驚かなかった。
悲しいが、彼の居場所は会社にはなくなっていたのだ。
真相は豊田本人に訊かなければ分からない。
おそらくは豊田が僕を妬んだのだろう。
実績を上げて社内での評価が高まり、酒井課長とも良好な関係を続けていた僕を。
その妬みの力は凄まじく、僕と課長を陥れようとする狂気の行動にまで駆り立てたのだ。
僕は推理小説が好きだ。
犯人が途中で分かったとしても、「動機」の部分に着目すると、最後まで楽しく読み続けることができる。
だから、犯人が真相を何も語らずに自害して、「動機」があやふやになってしまう後味の悪い小説は嫌いだ。
今回の場合、豊田は犯罪を起こしたわけではない。
倫理道徳に著しく反する行為ではあるが、退職しているので追及もできない。
事実は小説のように、すっきりとは解決しないのだ。
だけど、ただ1つだけ、まぎれもない真実がある。
「僕はセクハラをやってない」
これだけは、天に誓って断言できる。
※本内容は事実を元にしたフィクションです。
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